中の御殿は、義景の実母光徳院の館と伝えられています。庭園は畑として耕作されていたため保存状態は悪く、庭園と建物の関係など不明な部分が多くあります。池の周囲には庭石が10個残存しますが、石組らしきものは見られません。平面的な平庭に近い林泉式庭園であったものと考えられます。