これほどまでに水を感じることのできる建物を、あなたは知っていますか? 他では体験できない、
めくるめく水と光の世界を、この数寄空間でぜひ味わってみてください。
屋敷前には大きな池が広がっています。座敷の土縁(どえん)のすぐ先に、豊富な水が湛えられるという空間構成は、他に類を見ないものです。
また、御座ノ間をはじめとした座敷部分には、細め(3寸1分)の磨丸太(みがきまるた)や面皮柱(めんかわばしら)が使われており、数寄屋造(すきやづく)りならではの軽やかさがあります。深い軒(のき)も特徴的で、穏やかなくつろぎの場を生み出しています。
※磨丸太(みがきまるた) = 樹皮をはがしてから磨いたもの
※面皮柱(めんかわばしら) = 四隅は削らず自然の丸みを残したもの
本庭園では、発掘された遺構の上に直接建築するという画期的な手法がとられ、屋敷から庭を眺める視線の高さが当時の状態に保たれています。
部屋の建具等で額縁のように切り取られた景色はいずれも美しく、庭園と建物の全てが絶妙に配されていることがわかります。
御座ノ間(ござのま)の天井はサワラの薄板を用い漆(うるし)塗りの棹縁(さおぶち)天井となっています。長押(なげし)はスギ丸太(まるた)です。
御次ノ間(おつぎのま)の境にある欄間は、山ウコギの皮付きの小枝を組んだもので、枯淡(こたん)の極みと言えます。
水面に反射する日の光が天井や張壁(はりかべ)にゆらめく様は、素材そのまのの美しさを活かした造りに、よく引き立ってあざやかです
屋根は杮葺(こけらぶき)で(御台所から御台子の上は茅葺(かやぶき))、約10万枚のスギの杮板(こけらいた)が使用されています。
杮葺(こけらぶき)は、木材の薄板を使った伝統技法です。
また、大棟(おおむね)には市内の足羽山(あすわやま)から切り出した笏谷石(しゃくだにいし)を置いています。
御座ノ間(ござのま)は、屋敷の中心となる部屋で、藩主の座が設けられることからこの名があります。
東に床(とこ)と脇棚(わきだな)、南には出書院(でしょいん)が設けられています。
床柱(とこばしら)にはクリ材、框(かまち)にはトチ材を用い、脇棚(わきだな)は、地袋(ぢぶくろ)と違棚(ちがいだな)で構成されています。
いずれも張壁(はりかべ)で、越前襖(ふすま)紙を約10枚重ねて貼り、仕上げに越前鳥子(とりのこ)紙を上貼りしています。
出書院は幅7尺2寸と広く、そこに幅の細い組子(くみこ)による繊細な明障子(あかりじょうし)と、麻の葉模様の欄間(らんま)を建て込んでいます。
この桑の一枚板を透彫(すかしぼり)にした欄間(らんま)をはじめ、養浩館には、手の込んだ清淡(せいたん)な意匠が随所に凝らされています。
御月見ノ間(おつきみのま)は、南北に細長い屋敷の南端に、東の流れ側に突き出すように設けられた離れ座敷です。
北の床以外のすべての面から、それぞれの庭の景色を楽しむことができます。
まず、東と南では、往時には、今より東側に9m程も広い清流の庭を楽しめ、現在でも、玉砂利の汀によるおだやかな流れや、自然石の石橋などがつくる風景を眺めることができます。
また、東側から張り出した4畳ほどの月見台では、昇る月や、流れに映ずる月も愛でることができました。
西側は、この面いっぱいに配された出書院から、池に映る残月を楽しめます。
上部には、雲形に繰り抜いたケヤキの一枚板が入っており、この雲窓で切り取られた眺めは、本庭園の見所の一つです。
脇棚の袋戸には、青貝入の螺鈿細工が施されており、地袋の扉の意匠も独特で、南面と東面でも異なっています。
櫛形ノ御間(くしがたのま)は、池に面して、花頭(かとう)くずしの連窓(れんまど)となっていて、これが櫛を連想させることからこの名があるとされます。
この部屋は、屋敷の中で最も池に張り出しており、窓辺に寄れば、跳ね上げ雨戸の趣向もあいまって、まるで屋形舟に乗っているかのような感覚がもたらされます。
また、池に面する1間幅は、軒(のき)が室内に入り込んだ掛込天井(かけこみてんじょう)となっており、その傾斜が高さを感じさせ、一層の開放感をつくり出しています。
屋敷の軒や掛込天井には、スギ磨丸太2本と、皮付きのコブシ丸太1本が交互に配されています。
※花頭窓(かとうまど) = 上部が炎の形に似た窓。鎌倉時代に禅宗寺院建築として中国から伝来。
「鎖」の名は一般的に、茶釜を吊る鎖、また、一日の内に座を移って茶を楽しむために茶室と書院をつなぐ意味合いに由来すると言われます。
この部屋にも、板戸そばの床板に、炉が切られています。
西北面に、折廻しに浅い床と袋戸棚が配され、清流の庭に面した東側半分は掛込天井(かけこみてんじょう)となっています。
廊下境となる北面東端に入れられた板戸には鶏の絵があります。
古写真には雄鶏などが見えますが、剥落が激しく、雛(ひな)なども含め推定復原しています。
廊下側は竹網代組(たけあじろぐみ)となっています。
砂壁に金砂子を混ぜたことから名付けられたとされます。
ここが、かつての正式な玄関であったと考えられています。
屋敷全体に対して、蒸風呂を備えた御湯殿(おゆどの)や御上り場(おあがりば)などからなる御風呂屋の占める割合は大きく、くつろぎを旨とした別邸ならではの構成と言えます。
座敷空間とは異なり、総ヒノキ造りで4寸2分の角材を用いています。
御湯殿(おゆどの)と御上り場(おあがりば)は、東に突出した変形五角形をなす 内池をまたいで配され、御湯殿(おゆどの)の床板は中央に向かって傾斜をつけて、洗い湯が下に落ちる構造です。
蒸風呂の後方にあった釜場となる土間は復原していませんが、建物の屋根の上の煙出しは資料どおり再現しました。
池に面して西側に竹すのこ縁が張り出しています。
ちょうどここから小亭「清廉」のほぼ正面が臨め、その奥に、借景として福井城本丸が見えたと考えられます。
これらの御風呂屋と、御座ノ間(ござのま)などの座敷による御茶屋とをつなぐ廊下は、建物の東西軸に対してやや東側に振られており、異なる空間への移行を、洗練された形で表しています。
残念ながら、南側一部が歩道下にあるため、遺構の平面表示のみです。
清水が湧く笏谷石製(しゃくだにいしせい)の流れ蹲踞(つくばい)は当時のままです。
外径90cmの大ぶりな構えで、これが臼ノ御茶屋の名の由来とも考えられます。
「清廉(せいれん)」と名付けられた小亭(しょうてい)です。
すべてケヤキで造られており、岬の石組(いわぐみ)とよく調和して、景観の要所となっています。